岩峅寺駅@中新川郡立山町

岩峅寺駅は、有峰口駅(上滝線→立山線)へ行く際の乗換駅です。
また、映画「剣岳  点の記」のロケで昔の富山駅として使われました。

個人的にも前から行って見たかった駅です。

駅舎の中には、ロケの風景の写真がたくさんあります。

去年、大山寺駅を降りて雄山神社(前立社団)を参拝して、帰りは岩峅寺駅まで歩いて行こうと思ったのですが、クマの警告かんばんがあったので、大山寺駅に戻りました。
今回、初めて岩峅寺駅にきました。

本宮砂防堰堤@富山市

今日は、富山市小見というところにある「本宮砂防堰堤」を見に行ってきました。(20250505)

富山地方鉄道の上堀駅から乗り、岩峅寺駅立山線に乗り換えて有峰口駅までいきます。

有峰口駅からは徒歩で約10分のところに本宮砂防堰堤があります。

本宮砂防堰堤のそばに、説明のかんばんがあります。

本宮砂防堰堤は、その上流にある白岩砂防堰堤や泥谷砂防堰堤と供に国の重要文化財に指定されています。これらの砂防堰堤は土石流から富山平野を守っている重要な施設です。

砂防堰堤下流側には橋が架かっておりその橋の上から砂防堰堤を見ることができます。

ちなみに、橋は行き止まりになっています。

これは、その橋の上から本宮砂防堰堤を撮ったものです。

この日は天気も良く、本宮砂防堰堤の後ろには、立山(大日岳?)も綺麗に映っています。

こちらは、橋の上から、下流側を撮ったものです。

これで帰りますが、途中、岩峅寺駅の外に出てみたいと思います。。。

中島閘門@富山市

今日は、富山市中島にある「中島閘門」を見に行ってきます。(20250422)

富山駅からPORTRUAMに乗って「越中中島」の停車場で降ります。10分ほど歩けば中島閘門にたどり着きます。

この橋を少し行くと中島閘門の操作室があります。

こちらは橋の上から中島閘門の下流側(岩瀬浜)を撮ったものです。

中島閘門の閘室は、この橋の上流側(富岩運河環水公園)にあります。

閘室の横には中島閘門の説明看板があります。

中島閘門の閘室を下流に向けて撮ったものです。(下流側から船が来るようです。)

中島閘門は、長さ86mのパナマ運河方式の閘門で水位差約2.5mを調整するそうです。
1934年(昭和9年)8月に竣工し、原材料や資材・製品を運搬し、富山の工業発展に寄与したとのことです。
その後、運搬手段も陸上輸送へと変わり、現在は、富岩水上ラインという観光船を通過させる役割に変わったそうです。

下流側から観光船が来ました。

閘室内で水位調整をしているところです。

水位調整が終わり、上流(富岩運河環水公園)に向けて出発するところです。

観光船が出て行ったあとに、閘室の扉が閉まります。

おわりです。。。

巴塚・葵塚(源平ライン)@小矢部市

巴塚・葵塚に来ました。源平ラインのほとんど入口だと思います。(20241116)

巴塚と葵塚に行きます。(クマよけブザーを鳴らしながら行きました。。。)

まず「巴塚」に着きました。

「葵塚」は「巴塚」から少し離れたところにあります。

この後、源平ラインを下りて、友人のリクエストでもある「埴生護国八幡宮」と「若宮古墳」に行きました。

砺波の関跡(源平ライン)@小矢部市

萬葉公園の隣にある「砺波の関跡」というところに来ました。(20241116)

「砺波の関跡」のかんばんの裏には、大伴家持の万葉歌が書かれていました。

中は広場のような感じで、中央には大伴家持の万葉歌碑がありました。

歌は、さきほどのかんばんに書かれているのと同じです。
「焼太刀を 砺波の関に 明日よりは 守部遣り添へ 君を留めむ」(18-4085 大伴家持)

万葉歌碑の横には鹿の銅像がありました。。。

話は少し飛びますが、源平ラインを下りて埴生護国八幡宮に行く途中の一般道路の脇に、ここにも「砺波の関」の石碑がありました。

この石碑にも大伴家持の万葉歌「やきたちを 砺波の関に・・・」が刻まれていました。

どちらが本当なのか?どちらも本当??

話は源平ラインに戻りますが、「砺波の関跡」の後、源平ラインをさらに下って、「巴塚・葵塚」に行きました。

萬葉公園(源平ライン)@小矢部市

源平ラインを下って、途中にある「萬葉公園」にきました。(20241116)

公園と言っても、いかにも人があまり通ってないと思われる道を歩き、小さな階段を何個か上り、萬葉公園に辿り着きました。(クマよけブザーを鳴らしながら。。。)
公園内には休憩用のあずまやがあり、その周辺に万葉歌碑がいくつか点在しています。
1つの万葉歌碑には、表と裏の両面に歌が刻まれており、基本的には複数の万葉歌が刻まれているようです。

まだ全て解読(?)できていませんが、分かる歌はコメントを入れます。

▼歌は
「・・・後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと 黄楊小櫛 しか刺しけらし 生ひて靡けり」(19-4211 大伴家持)

▼歌は
「・・・白玉の 見が欲し御面 直向ひ 見む時までは 松柏の 栄えいまさね 貴き我が君」(19-4169 大伴家持)
「・・・垣内の谷に 明けされば 榛のさ枝に 夕されば 藤の繁みに はろはろに 鳴く霍公鳥・・・」(19-4207 大伴家持)

▼歌は
「春の日に 張れる柳を 取り持ちて 見れば都の 大道し思ほゆ」(19-4142 大伴家持)
もののふの 八十娘子らが 汲み乱ふ 寺井の上の 堅香子の花」(19-4143 大伴家持)
「今日のためと 思ひて標し あしひきの 峰の上の桜 かく咲きにけり」(19-4151 大伴家持)
「奥山の 八つ峰の椿 つばらかに 今日は暮らさね 大夫の伴」(19-4152 大伴家持)
「礒の上の つままを見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり」(19-4159 大伴家持)

▼歌は
「春のうちの 楽しき終は 梅の花 手折り招きつつ 遊ぶにあるべし」(19-4174 大伴家持)
「山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ」(19-4186 大伴家持)
「藤波の 花の盛りに かくしこそ 浦漕ぎ廻つつ 年に偲はめ」(19-4188 大伴家持)
「皇祖の遠御代御代は い重き折り 酒飲みきといふぞ このほほがしは」(19-4205 大伴家持)

「あしひきの 山の黄葉に しづくあひて 散らむ山道を 君が越えまく」(19-4225 大伴家持)
「この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む」(19-4226 大伴家持)

▼歌は
「・・・春の野に すみれを摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘子らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋すなり・・・」(17-3973 大伴家持)
「・・・玉櫛笥 二上山に 延ふ蔦の 行きは別れず あり通ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと」(17-3991 大伴家持)
「かき数ふ 二上山に 神さびて 立てる栂の木 本も枝も 同じときはに はしきよし・・・」(17-4006 大伴家持)
「・・・世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや・・・」(18-4106 大伴家持)

▼歌は
「ちちの実の 父の命 ははそ葉の 母の命 おほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも 大夫や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し 投矢持ち 千尋射わたし 剣大刀 腰に取り佩き あしひきの 八つ峰踏み越え さしまくる 心障らず 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも」(19-4164 大伴家持)
「・・・四月し立てば 夜隠りに 鳴く霍公鳥 いにしへゆ 語り継ぎつる 鴬の 現し真子かも あやめぐさ 花橘を 娘子らが 玉貫くまでに あかねさす 昼はしめらに あしひきの 八つ峰飛び越え ぬばたまの 夜はすがらに 暁の 月に向ひて 行き帰り 鳴き響むれど なにか飽き足らむ」(19-4166 大伴家持)

▼歌は
「紅は うつろふものぞ 橡の なれにし衣に なほしかめやも」(18-4109 大伴家持)
「さ百合花 ゆりも逢はむと 下延ふる 心しなくは 今日も経めやも」(18-4115 大伴家持)
「あしひきの 山の木末の ほよ取りて かざしつらくは 千年寿くとぞ」(18-4136 大伴家持)
「吾が園の 李の花か 庭に散るは だれのいまだ 残りたるかも」(19-4140 大伴家持)
「春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子」(19-4139 大伴家持)

▼歌は「今朝の朝明 秋風寒し 遠つ人雁が 来鳴かむ時 近みかも」(17-3947 大伴家持)

この万葉歌碑だけ裏面がなく、歌もこの1つだけです。

次に、となりにある「砺波の関跡」に行きました。